雨の日が好きな私・・自己分析してみた

今日は、西多摩方面は朝からずっと雨が降っていた。そこで、本日のお題は、「雨の日」に関してのことを書いてみたいと思う。

唐突だが、私は「雨」や「雨の日」好きだ。

唐突ついでに、では私は「何故雨の日が好きなのか?」これを、自己分析してみたいと思う。

雨の日2

1、自己分析の効能

内観」という言葉がある。心理学仏教で大切なキーワードとして、この言葉は出て来る。日々の起きる出来事に対する自分の気持ち・行動を、読んで字の如しで、自分で自分の心の内を見てみる、ということだ。この内観、簡単に言えば自己分析のこと。

その自己分析の習慣を持つと、自身のことを真に理解し、冷静に考えたり行動出来たりするようになる。「自分探し」という言葉があるが、「自分」は旅の先の遥か彼方にあるのではなく、自分の「内」にあるのだ。とまぁエラそうに書いている私だが、日々しっかり自己分析出来ている自信はない。努力はしている。

また、これから「就活」という世代の方は、この自己分析は「適職」や「自己アピール」の観点から興味を持って頂くと良いと思う。

では、自己分析をしてみよう。

2、自己分析「私はなぜ雨の日が好きなのか?」

心理学の本に頼らずとも、人の基本的な好み・考え方・行動のパターンなどは、ほぼ幼少時代に決定するというのは察しがつく。実際、私のこの「雨の日が好き」というのは子供のころからだ。

<自己分析開始!>

子供の頃の、雨の日に関する記憶をたどると、「これかかな?」という記憶に行き当たる。

◎雨の日の農家

私の実家は、九州の山の中の農家だ。農家の仕事というのは、当然ながら田畑を耕して糧を得る野良仕事なので、天気が良ければ田畑へ出かける。しかし、雨が降れば田植えの時期でもない限りは自宅で過ごす

「晴耕雨読」とう言葉があるが、雨の日に学校から帰ると、父がのんびり新聞など読んだりしていたりする。そんな姿を見るのが私は好きだった。
また、母は雨の日には私の大好きなお饅頭を作ってくれたり、おはぎを作ってくれたり、と今思い出しても、心がほんわかと安らぐような思い出がある。

間違いなく、私が雨の日が好きな要因はそこだろうと推測する。

◎淋しい思い

また、このことに大きく関連がある、せつない思い出がある。小学校一年生の時。

学校から帰って来ると、我が家は祖父母は早くに他界していたし、上記のように父母は野良仕事で、誰も居ないのだ。4つ年上の兄は校庭で遊んだり(昔の子はよく校庭で遊んでた)、友達と何処かで遊んでいていつも遅い。

私は、まだ甘えたい年齢なのにいつも淋しくて仕方なかった。たまに近所の友達の家に遊びに行くと、優しいおばあちゃんがいつも居て、おやつを出してくれたりする、そういうことがとてもうらやましくて仕方なかった。

ある日、そんな思いが爆発したのだった。仕事からから帰って来た母に泣きながら訴えた。

「なんでウチはいつも誰もおらんの?なんでうちは帰って来てんオヤツがないんじゃ!」

そんなこと言っても仕方のないことぐらいは、理解していたと思うが、淋しさが爆発してしまったのだ・・。母は困惑し、しばらく黙っていた。そして、「オヤツを置いとくけんね」と言ったのを覚えている。

そしてそれからは帰宅すると、飴玉とか、せんべいとか質素ではあったが、ささやかなオヤツを母が用意していてくれるようになった。それが子供心に大変嬉しく、また、母を困らせたことを申し訳ないと感じたのだった。

3、自己分析についてまとめ

以上が、私の個人的な「雨の日が好き」についての自己分析だ。この分析は正解であろうと、自画自賛ながら、確信している。

ネガティブな出来事の時など、ついつい自分を責めたり、後悔したりすることが多々ある。そんな時、この自己分析をやってみることで、必要以上に無駄に自責の念に苦しまずに済むこともある。

また、「就活」などの場合「自分が何が好きか」「何をするときが楽しいか」を基準にすると適正が見えて来るだろう。

大げさに考えないで、日々の生活の中で、ふと立ち止まり自問自答することをおすすめする。きっとお役に立つはずだ。

The following two tabs change content below.
nora

nora

シニア世代の自由人、趣味のオヤジバンド・野鳥写真・風景スケッチ等で西多摩方面に出没