俳句入門!「山頭火」に学ぶ俳句の心

山頭火」で検索すると、ラーメン屋がトップで出て来た。

私は若いころは背油タップリのコテコテ豚骨ラーメンが大好きだったが、今は昔ながらのアッサリ鳥ガラの醬油ラーメンが好み・・。

イヤイヤ違う!

今日のお題はラーメンではなく、俳句!!

俳句の基本、5・7・5 で、季語を使うなど、そのようなことは小学生でも知ってるので、今回は初心者として、まず俳句のメンタリティー俳句の心を、庶民派俳人として愛され続ける種田山頭火に学ぼうというのがテーマだ。

山頭火の句を紹介して少しばかり掘り下げ、また、実に魅力あるキャラである山頭火自身の、心の在り様を私なりに考察してみようと思う、それが俳句の心に触れることにも繋がると思うからだ。

1、山頭火の俳句とは

俳句を趣味とする人だけではなく、時代が変わっても根強い人気のある山頭火だ。
山頭火の句は「自由句」と呼ばれ、5・7・5 に拘らず正に表現が自由だ。自由ではあるが
川柳のような時事的な表現や風刺とは違い、山頭火自身のつぶやき・溜息、のような心情から零れ落ちるような句なのだ。

一語一語を練りに練り、吟味してチョイスして、計算して作りこんでいる。というようなテクニック勝負の俳句とは対極にあるだろう。それは直感的であり、飾りがなく、感情がそのまま無防備で、転がり出て来たような言葉なのだ。時に正直過ぎて痛々しい感じさえする。

それ故に、俳句に興味がある方や俳句を初めてみたいと思ってる方には、山頭火の句に触れることは良い刺激になるだろうし、自由な表現の句に親しみと手軽さを感じかもしれない。

私も一時期山頭火にはまり、感化され「三等歌」という俳号で、名の通り三流のおそまつな句を量産していたことがあるが、特に自由句は手軽に出来るのでお勧めする。

久しぶりに・・一句

咳き込んで  皆に見られて  口塞ぐ

電車の中で咳き込んだりして、近くの人にふり向かれたりすると「あっコロナウイルスを疑われてるのかな」と思ってしまって、口を慌てて塞いで、咳を我慢しながら下をむいた。
そんな様を句にしてみた。が、しかし・・これは時事を風刺した典型的な川柳になってしまった。

私の句は、お手本にならないので、山頭火の句を紹介する。

2、山頭火の句、紹介と解説

うしろすがたの

  しぐれてゆくか

うしろすがたの しぐれてゆくか

山頭火の代表的な句として、有名な句だ。

この句は、托鉢しながら厳しい旅を続ける山頭火が、旅先の支援者の援助で羽目を外して、(無類の酒好きなのでおそらく深酒だろう)自己嫌悪に陥った時の句だそうだ。

自嘲」という言葉が前置きとしてあるそうで、そういうことから推測される。
愚かな己を責めるその自嘲の念と自己愛が交錯し、ソレを「しぐれ」という晩秋の
冷たい雨の風景に重ね詠んだ名句。

この句が詠まれた経緯が、いかにも山頭火らしく、人間味にあふれ親しみを得、俳句の王道を行くような自然と心情が溶け合うような句の表現、これが山頭火の真骨頂でファンを魅了するのだ。

ふるさとは あの山なみの

       雪のかがやく

ふるさとはあのやまなみの雪のかがやく

この句のふるさとは、山頭火の生まれた、山口だったのだろうか・・?

山頭火の書いた文章に、「心の故郷」という記述がある。それは、心の拠所のような、或いは彼岸のような・・現実ではない、漠然とした理想郷のようなものだったとも思われる。遥か彼方にあり、美しく輝く・・・不器用に生き、厳しすぎる旅を行く山頭火が生み出した、幻想だったのかもしれない。

生死の中

  雪ふりしきる

生死の中 雪の降りしきる

風雪に耐え、ゆっくりと歩を進める山頭火を想像する。凍るような雪を踏みしめながら山頭火は何を想うのだろうか・・。生と死は裏表、死を意識する程の厳しい様は、生きることを、また生きている実感をリアルに鮮明に感じる瞬間でもあるだろう。雑念は消え、そして、只、只、歩を進めているだけなのかもしれない。

孤独な托鉢の旅だが、以下の二句、小さな出会いの句で
私の好きな句だ。

ついてくる犬よ

   おまえも宿なしか

ついてくる犬よおまえも宿無しか

トコトコとやせこけた貧相な犬が、少し距離をおき
山頭火の後をついてくる絵が目に浮かぶ。

和む・・そしてせつなくもある句。

いつもひとりで

     赤とんぼ

いつもひとりりで赤とんぼ

孤独な厳しい旅、このような、少しほっとする、つかのまでも安らぎ
無しには流石に耐えられないだろう。

3、俳句の魅力・・なぜ人は山頭火の句に惹かれるのか

俳句の魅力は、俳人の個々の魅力そのものだ。感性や生き方が、短い語句であるからこそ、そのまま凝縮して現れる。俳人、山頭火自身を私なりに分析してみたい。

山頭火という人物を簡単に表現すると「ダメ人間」だ。そんな山頭火だが何故か愛され、手を差し伸べてくれる人がいるのに、落ち着いた普通の生活に安住出来ず放浪を繰り返すのだ。その放浪の中で数々の山頭火しか詠むことが出来ない、自由句が生まれている。

では何故、そんな山頭火の句や生き方に共感を覚える人、魅力を感じる人が多いのだろうか?私もその一人だ。

それは山頭火の句から感じ取れる「人の弱さ」と「誰もが持つ美意識」ではないかと考察する。

◎「人の弱さ」

山頭火の略歴についてはネットでいくらでも出て来るのでお暇な時に興味のある方は
見て頂きたいが、この「人の弱さ」、山頭火の弱さは、母の自殺という、幼少期の同情すべき悲惨な体験が大きな原因であろう。それが大人になり、仕事なり所帯を持った時の心情に陰を落としていたと推測される。

その山頭火の弱さに、共感を感じることががあるという支援者・ファンというのは、共有する弱さを同じく、内に秘めているのだ。というか「弱さ」を持ち合わせない人というのは皆無だ。
そして皆それを悟られぬよう隠そうとするのが常だ。しかし、山頭火は句でも随筆でもそれを正直に認め、いやそれ以上に、人の真心に応えられぬ愚かな自分を責め続け、厳しすぎる旅を続ける。そこがまた胸を打つのだ。

◎「誰もが持つ美意識」

山頭火の句は多くが放浪の中で生まれる。必然的にそれは歩みを進める道中の、自然に囲まれた風景の中から生み出される。心が弱いということは繊細であるということと同義だ。
心が人並み以上に繊細で敏感、言い換えれば感性が鋭いということ。表現者としての資質としてそれは優れているのだ。

「雨」「雪」「風」「雲」「日差し」それらを時に自分の心情と重ね合わせ。時にその自然に心を癒し、逆に厳しい自然を前に弱音を吐き、心で泣きながら吐露するように句をひねり出すのだ。

托鉢の旅というのは大げさではなく命がけだ。近年、托鉢で旅をする僧侶は果たして存在するのだろうか。昔は行き倒れの托鉢僧侶が少なからず居たらしい。

山頭火の旅もまた命がけで、冬は寒風にさらされ山を越え谷を越え、夏は炎天下で喉を涸らす、そんな旅なのだ。常人では中々体験出来ぬ場で、追い詰められた生き死にの綱渡りの中での句、だからこそ味わい深いのだ。またそういう状況下での感性は研ぎ澄まされ故に美しい表現でシンプルな言葉となる。その句だからこそ、万人が心の奥底に皆共有して持つ美意識をくすぐるのだろう。

4、俳句を詠んでみよう

山頭火のような句を詠めとは言わない。私たちは私たちの生き方の中で出て来る、それこそTwitterのようなつぶやき的句でも良い、だろう。日記の変わりに句を詠むのも良いだろう。趣味としては何も準備するものは、いらない、ノートの一つもあれば良い。何かを感じる心、だけで良い。それを正直に表現するだけ。

何事もそうだが、とにかくやってみよう。すると意外に簡単に出来たり、また難しかったりするだろう。その経験が少しでもあれば、その後、誰かの俳句に触れた時の心持は、きっと以前と違うだろう。

俳句をおすすめする。

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nora

nora

シニア世代の自由人、趣味のオヤジバンド・野鳥写真・風景スケッチ等で西多摩方面に出没